2011年7月1日金曜日

恐怖に支配されていると、閉塞しか生まれない




老後の恐怖、失敗の恐怖、飢え死にの恐怖、
格差社会に沈む恐怖、・・・。
毎日、そういう情報に私たちは晒されている。

でも本当にそれらは存在するのだろうか。
存在したとして、自分にどれだけ影響があるのか。
影響があるとして、そうなる可能性は高いのか。
そうなったとして、リカバリできないほどなのか。
それは真に恐怖なのか。



■煽られる・刷り込まれる・埋め込まれる

誰かから「埋め込まれた」恐怖感ではないのか?
誰かから「埋め込まれた」希望(=すてきな生活)の反動ではないのか?
この誰かというのは、保険屋とか、TV-CMとか、
親とか教師とか、いろいろだ。

つまり、「恐怖」の反作用としての「希望」。
逆に、「希望」や「すてきな暮らし(という刷り込み)」
の反作用としての「恐怖」。
どちらも、本当に私たち自身に必要なリアルではないだろう。



■恐怖は幻影

恐怖や希望をモチベーションにしても、
面白いものは生まれないし、閉塞しか生まれない。
それでは、世界でも勝てない。

恐怖に縛られていると、いつしか恐怖が具現化してしまう。
または、恐怖をうまくクリアできてても、人生のほうが空虚になる。

恐怖に実体はない。その像をつくるのは、自身の心だ。
空虚な結果を一番招く原因は、恐怖心それ自体だ。
不景気も同じだろう。
われわれは、「恐怖」に支配されすぎているのかも知れない。


■結論

大きくふくらんだわたしが真にやりたいように
生きれば、心配要らない。なんとかなる。


そういえば、ジェダイの騎士も同じこと言っていたなあ。