2012年12月1日土曜日

ソーシャル・スコアの暴走はちょっと怖い



最近、SNSが人物評価の「手段」になっているケースをよく聞く。

就職、お見合い(恋愛・合コン)だけでなく、最近では銀行の融資審査でも利用されている。たしかにSNSは便利だ。その人物についての大量の情報を把握できる。


例:
・利用者は自身のFacebookアカウントやTwitterアカウントを連携させることで、ソーシャルメディア上での活動内容が評価され、一定のスコアが付与されます。このスコアにより、プロジェクトを立ち上げて出資を募りたい事業家がどのような人物であるのか評価できます。
http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/ideatank/201209/2012-9-1.html

・人事担当「就活生のFacebook見てるけど、友達が少なかったり、写真がアニメキャラな人はNG」 http://alfalfalfa.com/archives/6074459.html



このままだと、商売相手の選定、優良顧客の選別、生命保険の料率、子供の進学試験、ローン利率設定、警察の捜査、などあらゆるシーンで濫用されるようになるだろう。


こういった手段化されたSNSは、なんともいえない息苦しさ・閉塞感を感じる。「人と人をつなぐ」はずのSNSが、「人を評価・束縛・監視する」ものになる。

もはや自分らしさの発現の場ではなく、「よそ行きの自分」「あたりさわりのない自分」「充実して元気な自分」をわざわざ装わなければいけなくなるのではないだろうか。(某氏いわく、「偽善・馴れ合い・似非ポジティブ」だとも)




人間には、明と暗がある。光があれば陰もあり、見せたい物もあれば、見せたくない物もある。その光の側だけを強調すると、人間の精神は歪む。そして、いつか陰の部分が牙をむく・・・。

さらに、SNSの便利さを逆に悪用する輩も出てくるだろう(虚偽の人格を作るなど、詐欺の新しい道具になる)。





以上、杞憂であればいいのですが。
(やはり、SNSは「匿名」の方がいいのかもしれないと思う時があります)