2011年11月1日火曜日

5年後には、PCとスマホの境界がなくなる



評論家が「今後はPCが無くなっていきスマホのみになる」みたいな話をしているけれど、どうにも浅いインサイトな気がします。私は「PCとスマホの境界がなくなる」のほうが正確だと思います。違いがだんだんなくなっていき、将来的にはシームレスになる。

今のPCとスマホの差異を考えてみましょう。「モニタの広さ」「キーボードの有無」「操作がタッチかマウスか」が主なものです。これは、すでに技術的に解決可能です。外付けモニタ、Bluetoothキーボード、タッチOSの進化がスマホをPC化してしまう。



おそくとも 5年後くらいでしょうか。
外出時に、自宅のPCドックから、かちっと分離させて(PCを)スマホとして持ち出す感じです。
おそらくこの流れに純潔主義のAppleはついていけない。
Androidが勝つと思う。



さて一方で、コアユーザーの自宅PCは、パーソナルコンピューターという名前ではあるものの、どんどんサーバー的なポジションに進化していく。パーソナルクラウド、ホームサーバー、・・・。こうなるとPCじゃなくて、PS(パーソナルサーバー)ですね。





結局のところ、【業者】・【自宅】・【外出】の機器が、順に今の
【サーバー】 ・ 【 パソコン 】 ・ 【モバイル(ガラケー)】
から1一段ずつずれて、
【超サーバー】・【サーバー(PersonalServer)】・【パソコン(スマホ)】
になるということ。

なお、超サーバーというのは、GoogleとかAmazonのような、
並列で何万台ものコンピューターが繋がったものです。
あと、ガラケーは、one of アプリになります。



まあ、こんなような未来予想図を描いてみました。





 

2011年7月1日金曜日

恐怖に支配されていると、閉塞しか生まれない




老後の恐怖、失敗の恐怖、飢え死にの恐怖、
格差社会に沈む恐怖、・・・。
毎日、そういう情報に私たちは晒されている。

でも本当にそれらは存在するのだろうか。
存在したとして、自分にどれだけ影響があるのか。
影響があるとして、そうなる可能性は高いのか。
そうなったとして、リカバリできないほどなのか。
それは真に恐怖なのか。



■煽られる・刷り込まれる・埋め込まれる

誰かから「埋め込まれた」恐怖感ではないのか?
誰かから「埋め込まれた」希望(=すてきな生活)の反動ではないのか?
この誰かというのは、保険屋とか、TV-CMとか、
親とか教師とか、いろいろだ。

つまり、「恐怖」の反作用としての「希望」。
逆に、「希望」や「すてきな暮らし(という刷り込み)」
の反作用としての「恐怖」。
どちらも、本当に私たち自身に必要なリアルではないだろう。



■恐怖は幻影

恐怖や希望をモチベーションにしても、
面白いものは生まれないし、閉塞しか生まれない。
それでは、世界でも勝てない。

恐怖に縛られていると、いつしか恐怖が具現化してしまう。
または、恐怖をうまくクリアできてても、人生のほうが空虚になる。

恐怖に実体はない。その像をつくるのは、自身の心だ。
空虚な結果を一番招く原因は、恐怖心それ自体だ。
不景気も同じだろう。
われわれは、「恐怖」に支配されすぎているのかも知れない。


■結論

大きくふくらんだわたしが真にやりたいように
生きれば、心配要らない。なんとかなる。


そういえば、ジェダイの騎士も同じこと言っていたなあ。


 

2011年6月1日水曜日

クリエーターは「流通」を握らないとずっと貧乏なまま

TV番組で、でアニメ制作現場の「貧乏さ」をみた。


(Youtube)

フルタイム重労働で、月収10万円・・・
こういう人たちの犠牲の上に、いまの漫画文化ができている。
これは、アニメ制作会社もふくめて、構造的な問題である。
ウェブデザインも同じ。音楽業界も同じだ。



構造的な問題とは

いまのように、一部のコアファン(高価なDVD、CD、グッズを買わせる)に収益を頼って、それ以外のライトなファンは違法ダウンロードに走る構造は、日本発のカルチャーを衰退させる。
1億円の制作費があっても、ほとんどをTV局と広告代理店に抜かれ、流通マージンをさっ引かれて、DVDを買ったとしても、ものづくりの現場にはほとんどお金は落ちない
あからさまに言えば、クリエーターはいつまでもどこまでも文系正社員(!?)に搾取され続ける。そしてやがて力尽きるかも知れない。



クリエーターも目覚めよ

これは、クリエーターの側にも責任がないわけではない。
大手ディストリビューターやTV・代理店に依存しているからだ。
確かに、ビジネス上のリスク・手間が回避できるが、もっと大きい構造上のリスクを抱えてしまう。

クリエーターは「資金」を握らない限りずっと貧乏なまま。
そのために大切な「流通」を他社にまかせるから、収益の余りしかもらえない。ここに危機感を持つべきだ。
とくに、日本のように出資者が、傲慢(無知なわりに支配しようとする)な土壌では、クリエーターやベンチャーは、自己資本・自己流通を旨とすべきである。



あたらしい収益構造に向けて

クリエータ(アニメスタジオ、作曲家など)はそろそろ、例えば iTunesで作品を直接販売を主軸にすることを真剣に考えよう。
その強力なプロモーション手段は── 、これまで敵視されてきたYoutubeだ。

キーワードは、小資本、小設備、少スタッフ
選択と集中(=ラインナップを絞る)、少額多売
自己チャンネル(中間業者を省いて直販志向)。

あとは、フィージビリティテスト。反応を見ながらの順次投資で、投資の効率をあげるのだ。例えば、
→ β版(打込、仮MIX、マスタリングなし)をYoutube等にアップ
→(( 以下、好反応なら順次進む ))
→ スタジオレコーディングして完パケを作る
→ Youtubeで反応を見る
→ iTunes販売
→ 販路サイト拡大
→ プロモビデオ作成
→ Youtubeで反応を見る
→ タイアップ探す
→ CD・DVD
→ Youtubeで反応を見る
→ TVCM

好評さに応じて、掛けるお金を切り換えるのが肝。

今は、ほぼ一律に最終段階(TVCMレベル)のプロモをしようと狙うから、資本不足になる。
結果、アーティストの知名度に依存したり、売れ線しか作れなくなる。ディストリビューターに搾り取られる。
この構造で儲かるのは、誰なのか。そう、TVCMを打つ関係者。広告代理店とTV・メディアだ。



まとめ

いまのやり方(高価なDVD、CD、グッズ売上に頼る)でも十分にリスクなんだから、早期に新しいリスクをとって、ノウハウをためた方がいい。




追伸:(予言)
音楽のオーディションなんかでよくある「応募作品は未発表曲に限る」というのも、10年後にはこう変わるだろう。
「応募作品はYoutubeなどに公開済みで、一定のアクセスを集めたものに限る」と。

■参考:Youtubeでの違法コピーは、むしろ収益チャンス
 

2011年5月9日月曜日

「時間集約型」産業の時代へ



「時間集約型」産業が今後10年で勃興するであろう。
我が社はそれを先んじてコンセプトとしたい。


「時間集約型」産業の背景  


振り返れば、労働集約的なものから続いて産業革命が起こり、
資本集約的な重工業で20世紀は進み、
そして21世紀にかけて、知識集約型産業が興った。

しかし、いまや「知識(information)」は偏在しており、
希少価値はなくなったとも言える。爆発的なITの効用である。
さらに「情報爆発」という言葉があるように、
その知識が増殖しすぎて収集がつかない、整理が追いつかない…
という時代に移行しつつある。



「時間資源」を「開発する」  

では、情報の次にくる希少価値とは何であろうか?
私はそれを「時間」だと考える。

人間の寿命は、当面はどんなに技術が進んでも
変わらないだろう。1日の長さも変わらない。
ムーアの法則が働かないのだ。

そのため、時間の希少性は、世の中の多様化と
高度化に伴い増すばかりだ。
時間をいかに活かすかが、その他の労働・お金・知識を使う上で、
ますます鍵となる。そういう意味では、エネルギーなどと同じ
「資源」だと考えてもいい。

時間集約的産業は、無駄な時間・反復・非効率・分離を排除し、
時間と空間を有機的に、有意義につないでいく。
その結果、一定の時間を、何倍もの時間に変えていく。
まさに、「時間資源」を「開発する」ということだ。



Beyond IT!  


時間開発を成し遂げるための核となる領域は、ITと深層心理学である。
時間開発は、IT産業が検索やユビキタス化、ソーシャル化の次に目指す価値である。

そのためには、ITはITを超えなければならない、と思う。
まだまだ時間や手間暇や思考量がかかりすぎるため、
時間開発という視点では、ITはまだまだ未開なのだ。

みなさんもそう思いませんか?


 

2011年4月9日土曜日

多極的な国家デザインへ

「東京一極集中はまちがいなく終わる」──週末にふとんを干していて思った。

(この感覚、西日本に住んでいる人には伝わりにくいかもしれない。洗濯物干してても、放射能が付着するんじゃないかと、多くの関東人は頭では大丈夫っぽいとわかっていても、内心は不安だと思うよ)

来年は、東京にある無名私立大学の定員割れが加速するだろう。外資が新設する日本法人は大阪が多くなるだろうな…

プラスに見れば、通勤ラッシュは楽になるし、家賃も安くなる、首都高も速く走れる。
マイナスに見れば、これまでの密集によってもたらされてきた高集積の効果が下がる。したがって、復興後も当面は、東京はもとより全国的に、生産性が下がる。


そこで「多極的な国家デザイン」が浮上する。震災のリスク分散というだけではなく、もともと地方には埋もれた(捨てられた)ポテンシャルがいっぱいある。それらを本来は活かせるIT技術も今はある。1923年の関東大震災とは異なる復興になるであろう。

東京一極集中こそが、ガラパゴスの病態そのものだったわけで、これまでが「東京にひきこもり」すぎていた、とも言える。意識や発想が閉じこもって、近親相姦的にループしていた。それが逆に、外資や特定アジアからの浸食を生んでいた。

転じて、多極的な国家デザインになれば、意外と国際競争力がつくのではないだろうか。製造業以外でも、距離を超えたビジネスが前提となる。距離の壁なんて、ある程度を越えたら、500kmも50000kmもたいして変わらない。東京一極を脱すれば、その次は、世界なのだ。

したがって、強制的にせよガラパゴスの眠りから覚めた今後は、明るい。いや、明るく照らさないと子孫に申し訳がたたない。被災地が一段落ついたら、新生日本を真剣に考えよう。企業としてできることにも、さらに取り組もう。そしてより豊かで、世界で勝負できる強い祖国にしよう。




p.s. 時系列での予想:

・原発収束に1~2年、震災復興に3~10年、国家の構造進化に5~20年ぐらい。
・ここ1、2年で一時的に復興需要の効果で景気プラス。デフレギャップ減少。
・ただ、それは一過性のもので、その後5年ぐらいは、はダメージがじわじわくる。苦しい時代。
・10年ぐらい(2020年頃)経つと、国家構造・産業構造がかわって、
生産性と国際競争力があがる。好景気の循環に入る。中程度の経済成長になる。
・エネルギー問題は、世界でも深刻化。10年後、先に克服した日本がリードするようになる
・当面の不安定要因は、中東の民主化情勢とイスラエルまわり。


 

2011年3月9日水曜日

次に来るのは「雲衆」


大衆 → 分衆 → 個衆 といった時代変化の流れで行くと、次に来るのは「雲衆」かもしれない。

地縁血縁でもなく、共同体でもなく、大量生産的でもない。かといって孤独でもない。

興味やキャラクターというつながりで、ネットワーク上にできる見えない結びつき──新しい「縁」の環境ができたわけだ。既存の文化から見れば、目に見えないそれは、けしからぬものかもしれない。

情報の伝達でいえば、マスメディアのように、一方的ではない。メールのように、個別的でもない。受信者が、同時に発信者になる特質(Retweet,Reblogなど)からいえば、「相互メディア」とも言える。

その特長は、
・ロングテール
・集合知
・大数の法則下で規則的でありつつ、でもランダムで変わりやすい

まさに情報の空気化がもたらす変化である。

何を言っているか分からないと思うが、
これを書いている俺も何を言っているか分からないくらいだ。


それほどまでに予測できない未来に、わくわくしてくる ───




 

2011年2月17日木曜日

Youtubeでの違法コピーは、むしろ収益チャンス


こんなこというと、なんと不道徳な!と怒られるかも知れない。

しかし、経済産業研究所の調査結果では
Youtubeでの違法コピー視聴が1%増加すると、正規DVDの売上が0.24%増加する統計がでたのだ。(減少ではなくて、増加!)

PDF: http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/11j010.pdf


  1. YouTube で無料視聴されることは DVD 販売とレンタル回数を減らさない。特にDVD 販売はむしろ増加させる効果があり、YouTub e 再生数が1%増えると DVD 販売は 0.24%増える。

  2. このことは YouTube でのファイル削除の効果からも確認できる。ファイル削除はテレビ放映中に行っても DVD 売上に影響は無く、テレビ放映後に行うと DVD 売上をかえって減らす。したがって、Yo uTub e についてはファイル削除を行わず放置した方が著作権者の収入は増える

  3. Winny によるファイル交換は DVD 売上には影響を与えないが、レンタル回数は減らす効果がある



Youtube視聴させても、DVD販売とレンタル回数は減らず、著作権者はむしろ利益が生じているというわけだ。



思うことは2つ。

ひとつは、地上波テレビ局は、これを機にオンデマンド配信を安価で行って欲しい。視聴者は下らないCMを延々見せられなくても良くなるし、テレビ局は新しい収益をあげられる。視聴料のみならずDVD販売も通販にして直販すれば、もっと豊かになれるはずだ。さらに、ダウンロード販売も行えば、新しい市場になる。

もう一つ思うことは、

著作権・知的財産権の時代が終わったと言うこと。これらを「守ったり」「よりどころにする」ことでは、誰もハッピーにならない。利権を死守するのではなく、
これからのビジネスは───
先行者利益、コアファンという資産・・・これが新しい価値観だ。
いかにサービスを「早く広く使いやすく」提供するかに徹してこそ、企業の未来はあるのだろう。