2024年6月24日月曜日

さようならグローバリスム



 結論から 

結論から申し上げると、グローバル主義はもはや時代に合わず、破綻しつつあります。これからの時代は、「共同体主義」が新たな潮流となるでしょう。

治安問題、少子化問題、人工知能との共存など、さまざまな課題に対する解決の糸口は、この共同体主義の中に見出せるのです。



 グローバル主義って  

まず、私が言う「グローバル主義」を定義します。

グローバル主義とは、通信技術や輸送の発展、金融市場のグローバル化、AIやITを含む科学の進歩を背景に、国境などのあらゆる「境界」を溶解させ、「個」に帰着させるものです。「個」と「地球全体(グローバル)」は一見対立する概念のようですが、実際には360度回って位相を同じくするものです。

そして、単一のモノサシであるグローバルスタンダードや人間の評価指標を用いて、すべてを統制しようとするのです。



 一時的な成功  

グローバル主義は、当初こそ成功しているかのように見えました。
私自身も期待していました。しかし、それは過去の蓄積を食い潰し、偶然にバランスが取れていた一時的な成功に過ぎませんでした。

その魔法が解けると、多国籍企業による課税逃れ、富の一極集中、治安の悪化、非婚化・少子化の進行、Chinaの覇権主義による平和の脅威、政治腐敗とインフレなど、数々の問題が浮上しました。

これらはすべて、文明の病と言えるでしょう。結局、単一のモノサシで人間を測ることなどできないのです。



 注目するのは「共同体」  

そこで私が注目するのは「共同体」です。

ここで共同体を定義しましょう。共同体とは、友人、家族、地域、職場、国、文化圏、経済ブロックなど、小さなものから大きなものまで、境界が多層的に重なり合っているものです。

これは前近代への回帰ではなく、グローバリズムを脱ぎ捨てた次の段階として存在します。共同体の変更や移動に拘束はなく、境界は保たれながら価値観を共有し、互いに尊重し合って共存するのです。個性は尊重され、共同体の中で自然に育まれます。

個人を評価する画一的なモノサシは存在せず、グローバリズムこそが没個性を生み出していたのです。地域や文化の境界があるからこそ、初めて交流(国際化)に意味があり、グローバルであることに魂が宿るのです。  



 限界を悟ること   

また、境界を意識することは、己の知恵に限界を悟ることでもあります。機械やAIに脅威を感じるのは、グローバリズム的な視点で、科学の無限性を信じることが原因です。共同体的な思考で考えれば、どこかで折り合いがつくのは自明です。シンギュラリティなどというものは幻想に過ぎません。

さあ、グローバリズムの「際限のない」夢から醒めましょう。夢から覚めれば、限界に安心できるのです。科学は人間の生活の一部に過ぎず、お金は価値交換の手段に過ぎません。自由が確保できるだけあれば、それで十分なのです。



 未来に向けて   

最初に述べた文明の病も、共同体の復活によって徐々に融解させることができるはずです。そのためには、グローバルな思考やグローバルな暴挙を止める機運が必要です。

これからの時代に求められるのは、共感と連帯による共同体主義です。私たちは、地域社会や文化を大切にし、そこから始まる新たな価値観を育んでいくべきなのです。

さようなら、グローバリズム。
こんにちは、みんな。