気になるタイトルの本ではある。この作者が書いているコラムを読んだ。
http://www.yuasakenji-soccer.com/yuasa/html/topics_4.folder/08_japan_2.11.html
基本的に農耕民族である日本人の場合、やることは決まっているから、そのルーチンワークを、遅滞なく、またミスなく着実に(真面目に)実行していくことが求められる・・という生活の仕方に対するベーシックな態度があると思います。だから、社会性や協調性が問われる集団主義的な発想が根付いていく!?
それに対して、サッカー発祥の地は、基本的に狩猟民族の文化。狩猟プロセスでは、失敗は当たり前だからね。何度も、何度も、トライ(リスクチャレンジ)&エラーを繰り返すしかないというわけです。それも、自分自身の判断と決断をベースにして。だから、個人主義的な発想が根付いていく
前述した文化的なバックボーンも含めて、リスクにチャレンジすることに消極的な日本人については、その原因として、こんな背景ファクターや現象を想定できるかもしれない。
思うに逡巡は先送りにすぎず、状況を好転させるよりも悪化させることがほとんどだ。
そう分かっていても、リスク=チャンスを前にして、一瞬ひるんでしまう=好機を失うという傾向は、日本文化にその要因があったということなのか。(下記注あり)
であるとすれば、グローバル化が進んだ今は(そして世界レベルの戦いをめざすのであれば)、ビジネス面ではそういった農耕的な意識を昇華しないと危うい。
失敗した後に再びチャンスを得にくい(そう思いこまれている!?)という社会体質(仕事の内容が決まっている農業では大きな失敗は起きにくい≒失敗を犯した場合、その当事者の人格まで問われたりする!?)・・だから失敗することを極端に怖がる・・また日本では、子供のコーチが、失敗という現象を、その背景にある原因の構図をしっかりと把握せずに表面的に叱るケースが多い・・などなど(例示がちょっと舌っ足らず・・ゴメン!)。
ということで、こんな仮説が成りたつかもしれない。日本では、「人は、失敗からしか学ぶことはできない」という普遍的なテーマを(その深い意味を)しっかり理解しようとしていない!? もっと言えば、学ばなくても(進歩しなくても)ルーチンワークさえこなしていれば安泰という社会体質も背景にある!?
私たちは、失敗した後のルーズボールの価値を軽く見すぎているのかもしれない。「人は、失敗からしか学ぶことはできない」というのはもっともであるし、「失敗からチャンスが広がる」ということも(むしろそのほうが)多いのではないか。
リスク対策をうたい文句にしたIT系のサービスは多いし、予算も獲得しやすい。もちろんそれはとてもいいことなのだが、リスク抑制とリスクテイクはバランスが大事。現状は、なんとなくリスク抑制側に偏っている気がする。リスク管理に力を入れるなら、同じくらいに、チャンス管理(!?)的な視点も必要だろう。リスクテイクは、中小ベンチャーにとっての隠れたビジネス戦略でもあると思う。
逡巡や先送りではなく、「前倒し」、いい意味での「リスクテイク」の態度で、思いっきりシュートを打ってみる。そんなビジネスライフを送りたいものである。
(さかい:注)ざっくりと、日本人の気質のひとつを捉えた話としてとりあげたが、狩猟民族も農耕民族も厳格な定義・分類があるわけではない。
現在の民族的文化の源泉をどちらに求めるのかという曖昧な話だし、例外も多い。(イタリア人などラテン系はシュートをよく打つが、農耕民族だ)。
その他:
http://satinokaitigo.hp.infoseek.co.jp/sub4-16%20minnzokunotokuseiNo1.html
(2009.6.5追記)
ちょっと変化の兆しか?本田くん頑張れ!
http://clipfork.tumblr.com/post/117747374