「宇宙の真空には、エネルギーがぎっしり詰まっている」。量子力学はそう言う。
じゃあその密度は、といちばん素朴に計算してみると ―― 実際に観測される宇宙と、桁が120個ずれる。パーセントの誤差じゃない。桁が、120個だ。
人類最高の理論が、現実と $10^{120}$ 倍ずれる。ふつうなら「その理論、間違ってるよね」で終わる話だ。でも誰も、この量子論を捨てられない。素粒子の現象を、ものすごい精度で当ててきた理論だからだ。その最強の理論が、真空のエネルギーだけを盛大にハズす。物理学者はこれを“史上最悪の予測”と呼んで、半世紀以上、頭を抱えている。
今日はこの怪物を、君の手で正体まで追いつめる。使う道具は、テストの検算で使うあの地味なやつ ―― 次元解析だけだ。前回の特集(①)は保存則をきっちり連立して厳密解まで出したが、今回の武器は違う。“桁”だけで戦う。答えはいつも「およそ」で、$2\pi$ みたいな係数は最初から狙わない。そのかわりこの武器では、宇宙の一番小さいところと一番大きいところに、手が届く。
$E=mc^2$ を、もう一度読む
誰でも知っている式から始めよう。$E=mc^2$。世界で一番有名な式だ。有名すぎて、たいていの人は「エネルギーと質量は同じ」という標語として通り過ぎる。でも今日は趣向を変えて、この式の単位に着目してほしい。
左辺 $E$ はエネルギー、単位はジュール $[\mathrm{J}]$。右辺の $m$ は質量、単位はキログラム $[\mathrm{kg}]$。$[\mathrm{J}]$ と $[\mathrm{kg}]$ は、まるで違う物理量だ。
等号で結ぶには、その差を埋める“何か”が要る。それが $c^2$ だ。$c$ は $[\mathrm{m/s}]$ だから $c^2$ は $[\mathrm{m^2/s^2}]$。かけてみる。
ぴたりとジュールになった。ここで気づいてほしい。
この $c^2$ は、もはや「光速の2乗」という速さの話じゃない。キログラムをジュールに橋渡しする“為替レート”だと捉え直す。(正確に言えば、$E=mc^2$ は「静止した質量 $m$ には、$mc^2$ の静止エネルギーが対応する」という関係で、$1\,\mathrm{kg}$ の静止質量には $9\times10^{16}\,\mathrm{J}$ が対応する。)
この話は、ドルと円の両替に似ている ―― ただし、同じお金の単位換算というより、別々の物理量を $c^2$ という普遍的な定数が結んでいる、と言うほうが正しい。質量は、エネルギーの一つの姿なのだ。
ここで考えをさらに深める。
もし $c^2$ が単位の両替レートなら ―― 宇宙の基本定数というのは、ぜんぶ単位と単位をつなぐ両替レートなんじゃないか?
だとすれば、ある単位の量は、正しい定数を掛けたり割ったりして、好きな単位へ無理やり両替できる。単位さえ合わせにいけば、答えの“形”は勝手に決まってしまう。そう。$E=mc^2$ のように。
これ、物理を学ぶ高校生なら、聞き覚えがあるはずだ。
テストで答えを出したあと、単位が合ってるかチェックする、あの地味な検算 ―― 次元解析。あれを宇宙に向けて使うと、ダウジングの棒みたいに、本物の物理を手探りできる。
両替に使う定数は三つ。これが宇宙に刻まれた為替レートだ。
| $c$(光速) $[\mathrm{m/s}]$ | 空間と時間、そして($c^2$ として)質量とエネルギーを結ぶレート。$E=mc^2$ のあれ。 |
|---|---|
| $\hbar$(プランク定数) $[\mathrm{J\cdot s}]$ | 量子の世界のレート。「小ささ」をエネルギーに両替する。狭い場所に閉じ込めるほど高くつく、その値段表。 |
| $G$(重力定数) $[\mathrm{m^3/(kg\,s^2)}]$ | 重力の世界のレート。「質量」を空間の曲がりに両替する。どれだけの質量で空間がどれだけ歪むかを決める。 |
では、最初の両替をやってみよう。物理の中身はいっさい考えない。単位のつじつまだけで押し切る。お題はこれだ。
問 題
ひとつの長さ $L$(単位 $[\mathrm{m}]$)を、エネルギー(単位 $[\mathrm{J}]$)へ両替せよ。
ただし使ってよい両替レートは、そのつど指定する。
まずは、量子の窓口。使うのは $\hbar$ と $c$ だけとする(重力の $G$ を封印)。長さ $L$ をジュールへ。作りたいのは $E=\hbar^a\,c^b\,L^d$ が $[\mathrm{J}]=[\mathrm{kg\,m^2/s^2}]$ という単位になること。指数 $a,b,d$ を未知数として、$\mathrm{kg}$・$\mathrm{m}$・$\mathrm{s}$ それぞれの単位が合う条件を並べれば、乗数についての連立方程式になり、$a=1,\ b=1,\ d=-1$ と一意に求まる。すなわち、
確かめる:$[\mathrm{J\cdot s}]\times[\mathrm{m/s}]\,/\,[\mathrm{m}] = [\mathrm{J}]$。合った。$\hbar$ と $c$ と $L$ を掛け算・割り算だけで組み合わせてジュールを作る道は、これ以外に無い。ほかの組み合わせでは無理。単位が、答えの“形”を一つに縛るのだ。
次に、重力の窓口。今度は $c$ と $G$ だけを使うとする(量子の $\hbar$ を封印)。同じ長さ $L$ をジュールへ。作りたいのは $E=c^a\,G^b\,L^d$ が $[\mathrm{J}]=[\mathrm{kg\,m^2/s^2}]$ になること。乗数についての連立方程式から、$a=4,\ b=-1,\ d=1$ と一意に求まる。すなわち、
さて、一息つこう。
僕たちは物理学の法則を一切考えていない。ただ単位を割り算しただけで、一つの長さから二つのエネルギー法則を絞り出した ―― 量子の窓口 ① $\hbar c/L$ と、重力の窓口 ② $c^4 L/G$。
ところが、この落書きみたいな二式は...
どちらも、本物の物理そのものだった。
① の正体は、大きさ $L$ の中に何かを閉じ込めて“見分ける”のに要るエネルギーの尺度だ。位置を $L$ まで絞ると、不確定性原理で運動量が $p\sim\hbar/L$ まで暴れる(量子論的)。それを $E\sim pc$ でエネルギーに直す(相対論的)。この二つを一回ずつ使って出てくるのが $\hbar c/L$ ―― いわば、局在することのコストである。
② $c^4L/G$ の正体は、係数の $2$ を別にすれば、シュヴァルツシルト半径が $L$ であるブラックホールの質量エネルギー $Mc^2$ にあたる(正確には $r_s=2GM/c^2$ なので $Mc^2 = c^4L/2G$。桁数では一致する)。
単位でつじつまを合わせただけの計算が、量子力学とブラックホール ―― 現代物理の二大巨頭を、名前も呼ばずに召喚してしまった。これが、この記事の“武器”の威力だ。単位には、物理が刻まれている。次元解析は、ただの検算じゃなくて、宇宙の設計図をなぞる鉛筆だ。
そしてもう一つ、今この幕でやった手順そのものを覚えておいてほしい。僕たちは同じ一つの長さを、二つの違う窓口(量子と重力)から値づけした。この“一つの量を、二つの窓口から覗く”やり方こそ、この記事を最後まで貫く道具だ。次の幕では、その二つの窓口を正面からぶつけてみる。
時空を、エネルギーで値づけする ―― 最小のネジ
さっきの両替で、見落としてほしくない点がある。①も②も、長さをエネルギーに変えた。エネルギーが、長さを翻訳するときの共通の量になっていた。
もし何もかもを「エネルギー」という一つの通貨で値づけできるなら ―― バラバラに見えた量どうしを、同じ土俵に乗せて、等号で結べる。この“共通通貨”の発想が、次の扉を開ける。
まず、長さでできたことを時間でもやってみよう。時間 $T$(単位 $[\mathrm{s}]$)を、エネルギーへ両替する。
量子の窓口($\hbar,\,c$)。同様に $E=\hbar^a c^b T^d$ と置いて乗数の連立を解くと、
重力の窓口($c,\,G$)。こちらも同様に乗数で連立方程式を解くと、
長さのときと、気味が悪いほど同じ構造だ。量子の窓口はいつも「割る」($1/L,\ 1/T$)、重力の窓口はいつも「掛ける」($L,\ T$)。片方は小さくするほど高くつき、もう片方は大きくするほど高くつく。
さあ、予告どおり、異なる窓口からの二つの式をつなげよう。
長さには、量子の値づけ①と重力の値づけ②があった。この二つがちょうど同じ値になる特別な長さが、どこかにあるはずだ。①$=$② と置く。
時間もまったく同じ手つきだ。③$=$④ と置いて解く。
量子の値づけと重力の値づけが釣り合う、たった一点。それが時空の“最小のネジ”だ。本物の物理学では下記のように名付けられている。
$L_p = \sqrt{\hbar G/c^3} \approx 1.6\times10^{-35}\,\mathrm{m}$ (プランク長)
$T_p = \sqrt{\hbar G/c^5} \approx 5.4\times10^{-44}\,\mathrm{s}$ (プランク時間)
なぜ「最小」と呼びたくなるのか。$L_p$ より小さいものを覗こうとすると、量子の値段①がどんどん吊り上がり、その上がったエネルギー自身の重力②がブラックホールを作って、覗こうとした対象を呑み込んでしまう ―― 見ようとした瞬間に消える長さ。この見立てに従えば、時間 $T_p$ も同じで、それより短い“一瞬”は意味を失い、物差しの目盛りが尽き、ストップウォッチの針が刻めなくなる。時空の底だ。
ただし ―― ここは留保を一つ置く。プランク長が「これ以上は分割できない、証明された最小長さ」だと確かめた人は、まだ誰もいない。それ以下に長さが存在しないのか、時空が本当にそこで途切れるのか、時間が本当に離散化しているのか ―― どれも未確定だ。いま言えるのは、この付近で量子論と重力が同時に効きはじめ、「長さ」や「時間」という僕らの常識が通用しなくなると強く予想される、ということだけ。さっきの“ブラックホールに呑まれる”話も、確立した定理ではなく、有力な思考実験の一つにすぎない。だから「最小のネジ」は、証明済みの事実じゃなく、よくできた比喩として受け取ってほしい。
最後に、出てきた二つを割ってみてほしい。
“最小のネジ”と呼んだプランク長は、光がプランク時間だけ進む距離に、ぴたりと等しい。空間と時間のプランク尺度は、別々のものじゃない。$c$ という同じ普遍定数(為替レート)で溶接されている ―― そう、いちばん最初に質量をエネルギーへ両替した、あの $c$ だ。
我々はついに、長さも時間も、同じ通貨(エネルギー)へと変換できた。ただし、誤解しないでほしい ―― 長さや時間そのものがエネルギーを“持っている”と分かったわけじゃない。分かったのは、長さや時間の尺度から、そこに関係しうる特徴的なエネルギーの目盛りを作れる、ということだ。空間や時間を、エネルギーという物差しで測れる ―― それだけでも、じゅうぶんワクワクするけれど。
となると、その物差しの先に、こんな問いが立つだろう。“空っぽの空間そのもの”は、エネルギーを持っているのか?
長さや時間の尺度からエネルギーを引き出せるなら、何も入っていない時空(そこは真空であるが、時間と空間が存在する)にも、値札はつくのか ―― この問いが、中編(第4幕)で「真空のエネルギー」という正式な名前を得て、もっと大きな姿になって君の前に戻ってくる。
三つの定数と、単位のつじつま。それだけで、君は宇宙の底(最小)に触れた。
底に触れたなら、次は天井(最大)だ。宇宙の“天井”にあたる長さ ―― いちばん大きい側の代表スケール ―― は、どこにあるのか。それも同じ両替で掴める。そして宇宙の両端が出そろったとき、 冒頭で君に話した120桁のバケモノが登場してくる。
―― 中編『紙1枚で、最先端に追いつく』へ続く。
イコールじゃないの?
この記事では $=$ ではなく $\sim$(桁数が同じ、くらいの意味)を多用している。講座①の厳密な連立を通ってきた君なら、この“ゆるさ”が気持ち悪いはずだ。それでいい。
不確定性の $\Delta p \sim \hbar/L$ も、シュヴァルツシルト半径の $r_s = 2Gm/c^2$ も、本当は $2$ のような係数を連れている。不確定性関係も本当は等式ではなく「$\Delta x\,\Delta p \gtrsim \hbar/2$」という下限だ。①と②はそういう係数や下限を全部わざと捨てているから、厳密には 定数倍ずれたりする。だから答えは「およそ」だ。
ところが面白いことに ―― これから追う120桁の勝負では、その捨てた係数たちは桁の海に一滴残らず溶けて消える。$2$ 倍や $10$ 倍の誤差は、$10^{120}$ 倍の前では無いに等しいからだ。厳密さを捨てた武器が、宇宙最大のスケールでだけ、かえって最強になる。なぜそう言い切れるのかは、120桁の正体を見たあとでわかる。
もう一つ、白状しておく。「単位から形が一つに決まる」と言ったが、正確には掛け算・割り算だけの形(単項式)に限れば一つに決まる、という意味だ。さきほど述べたように、次元解析は、$2\pi$ のような無次元の係数も、無次元の量がかかる関数も、原理的に縛れない。
つまり次元解析が出すのは、答えの“骨格”だけ。この限界こそ、後編で「次元解析は地図であって、答えではない」という話に化ける。いまはまだ、夢を見ていてよい。

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